はじめに
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月刊「秘伝」(2011・9月号)に、6ページ特集の掲載があります。
生家の地元では、情報が公開されず、謎の人物として珍談奇談「妙な小男」のままになっておりました。多くの作品は、ノンフィクションでも生家の会津を取材した形跡がないという、信じられない不思議な共通点がありました。
私には、口伝で書いた作品、最大の謎を書いた2作目がある。その後、武田時宗遺稿集が発表され、地元からも重要な証拠が出てきました。
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先祖
戦前は、流派の史実が美化されたとしても、特に珍しくありませんでした。官尊民卑の時代ですから、武士の家系図のように、伝書目録は先祖が清和天皇から始まらないと、有り難味がないわけです。
戦後、大東流宗家36代の名前は発表されておりますが、生家のものと確認されるのは祖父と父だけで、ほかの名前は生家以外のものと思われます。
明治5年の壬申戸籍は、士族、神職、僧侶、尼、農など家柄が書いてある。藩士、郷士、神職と様々な説があり、真実はどういう家柄なのか、地元の方は知っていた。会津には修験という組織があり、同業で支配区域を持たない陰陽師惣右衛門が活躍した記録はない。
農村の5人組制度は、親戚同然の付き合いがある。武田家は本家・分家の農家が数軒あり、さらには跡継ぎの男子がいなければ、養子縁組して新に武田家を名乗るケースもある。
戦後、歴史研究が飛躍的に発展し、史実に登場する有名な人物は専門的に解明されている。証拠のない史実は、他の流派のように創作した仮託と専門家の評価がある。
現在、合気は武田惣角が創始した説が最有力になっている。
口伝の、新羅三郎が合気を創始、甲斐武田家、会津藩御式内の立派な史実が都合良いと思う方もいるが、故郷では評価されない。昭和5年、東京朝日新聞に掲載され、世を避け百姓爺を名乗った惣角翁の心情を察するべきである。
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少年時代
惣角一代記が原文のまま公表されたのですが、郷土史から検証すると、誇張・創作された内容が多い。妹の名前は「おさん」とあるが、実際は兄の三女で、晩年の惣角が少し耄碌したころの証言であると思われる。
農家生まれの母が病死、父は鳥羽伏見の戦い、年の離れた兄は結婚して子供がいる。身体が不自由で、一つ違いの妹を世話することが母の遺言で、惣角は妹のためなら相手が何人いようと喧嘩した。野口英世と同じような美談、純真な兄妹愛は、一代記で最も信憑性がある。
小野派一刀流の奉額が柳津虚空尊にある。村内の友人、剣術仲間、初婚の妻の兄、渋川流柔術家、直接指導した師範の名前があります。道場主渋谷東馬より強い師範がいて、惣角に教えた証拠が出てきた。
小説にあるように手裏剣、鉄扇、杖術、居合は、誰が教えたのか謎でした。戊辰戦争後、生家の隣りに、士族で武術の達人が引っ越してきた。
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青年時代
武者修行、武勇伝は小説に詳しく書いてあります。地元にも山賊退治のエピソードがある。ところが、地元の資料に同じ時期、同じ場所で事件があった。分教場の先生が、評判の悪い暴れ者博徒四人組を柔術で投げ飛ばした。
史実や小説では、惣角が退治した山賊は、元武士の三人組です。当時、職にあふれた元武士は、官軍巡査になって薩摩の西郷隆盛をやっつけようとしていた。近くに博打場のある宿場があり、追いはぎが出る。時代遅れの元武士の山賊がいたとは思えない。
兄が病死した場合、兄嫁と弟が結婚することも多い。でも、兄嫁は年上で、子供を連れて実家(農家)に帰った。後継ぎにはなりたくないから、武者修行に出たと思われる。
元会津藩家老保科近悳(西郷頼母)の意を察して、九州へ西郷隆盛の応援にいったとある。道場の先輩も、隣りの士族も、政府官軍の巡査になって、戊辰戦争の敵討ちをしようとした。ほんとに、西郷隆盛の応援に行ったのだろうか。
惣角の経歴は、流派から地元関係者の名前がまったく語られていない特徴がある。
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結婚生活
明治15年、福島の手前で、無法を働く工事人夫と傷害事件を起こし、瀕死の重症を負った。これから14年間、なぜか惣角の消息は消えてしまう。
結婚した相手は、著書におきく、コンという記述がある。ほんとはコンなのだが、実家の家柄やエピソードは何も語られていない。
史実では、明治21年に結婚したとある。流派が寄稿した会津剣道誌の子供の年齢から逆算すると、明治17年には結婚したことになる。どっちがほんとうなのか。
史実で妻は若い時に亡くなったとされているが、惣角は妻を連れて、東北を巡教したという証言がある。実際は生きていたことが、地元の証言で明らかになりました。
妻の生死、子供の産まれた年の真実が語られなかった事情は、よくわからない。
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柔術
家伝の柔術があったとされるが、研究家の調査では古くから伝えられた技なら、技の名前があるはずだという。目録には名前のない特徴があり、惣角が研究した可能姓が大きい。
郷土史家によると、会津の農民は戊辰戦争で初めて刀を持ったから、戦争で負けたという説もある。父は棒術が得意で、刀の持てない身分の人が習ったと地元の著書にある。
惣角に柔術を教えられる地元の人物は五人もいる。村内の板橋林三は、惣角に柔術を教えられた証言がある。それも、最初は保科の御式内ではなかった。惣角に誰が教えたのか?
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神通力
保科近悳の生涯経歴は専門家の研究で詳細に判明しており、大東流だけが武術・神通力の達人だと語っている。
神通力は、新羅三郎、保科近悳が天台密教、修験道を修行したとされる。武田時宗遺稿集では、九字護身法、四神足瞑想、七つの力の泉を修行したとあります。
一般の僧侶・修験もやらない高度な修行を、どうして惣角が修行できるのか、大きな疑問がある。七つの力というのはヨガのチャクラと同じです。日本で一般にヨガを教えたのが中村天風で、明治20年代よりずっと後になる。瑜祗経(ヨガ)は真言宗の経典です。
大本山の高僧、正式な修験が、部外者の惣角に教えることは考えられない。空海の秘術が語られ、惣角が修行したのは真言密教である可能性が高い。そうなると、新羅三郎、保科近悳説は創作であるという証拠になります。
惣角に教えた人物は、よほど特異な能力を持っていた。私が「合気の発見」で書いた易師は、すべての条件を満たしている。易にはいろんな種類があり、大東流会報に書かれているものと、易師が同じであれば証拠になる。会津の修験は、筮竹と算木を使うが、易師も惣角も使わない。専門家に鑑定してもらった結果は?
本来、神通力修行は関係者だけに伝えられたもので、易師も惣角も修行できる身分ではない。教えたり、教えられたり、人には話せないが公開された。神通力修行は、専門家にも聞いたが信憑性は高い。口伝だけでは書けないと思われる。
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合気
合気の糸口は、剣術・柔術の技に、心身統一して「気の力」を応用したと思います。合気上げのように誰でもできます。惣角は、呼吸法、瞑想法、念力の神通力を修行して高度な合気「意識の力」を会得した。
合気の理論は研究されて、呼吸、テコ、円運動とか多様な表現があり、全部本当だと思います。私は武術家ではないので、密教、修験道、気功の理論である「身口意」から考えました。
密教修験道は、肉体、気の体、意識の体の三つを一体にする。心身統一して、邪心、煩悩をなくすように、極限状態の厳しい修行する。僧侶はだれでも高度な神通力ができるのかというと、そうでもない。凡人には無理で、特別な能力の人だけができる世界だそうで、高度な合気も同じかもしれない。
これまで語られなかった真実が、生家の地元、宗教家、郷土史家、占い専門家などの方々のご協力で明らかになりました。偉大な武術家、故郷の偉人として再評価されることを期待しております。
最後に、武田惣角の完結編は年表、新たな写真が入れば良いかなと書いております。
空白の修行時代は概要編で、詳細な説明を省略。ほかにも謎はいっぱいあります。
ヤフーブログをご覧ください。(ヤフー検索サイトの、左側のブログから入る)
次回作の単行本はいつになるか未定。できれば早く出したい。
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